みやぎ生協、被災地視察レポート ・ 日本生協連「つながろうCO・OPアクション」の取り組みとして

 

                                     全域理事  向 由美子

 9月7日、8日と宮城県仙台市に全国の生協組合員理事たち32名が視察と激励に集まりました。私も鳥取生協の理事として参加しました。
 新幹線が到着した仙台駅とその周辺は人や車、高いビルが多く、被災の跡はなく、半年前の震災がうそのようでした。東京から仙台までの間、福島県を通ります。新幹線の車窓から見える福島の景色は鳥取で見るのと同じで田んぼがあり、民家があり、のどかな農村の風景でした。福島の方たちはどんな思いで暮らしておられるのかな、と眺めていました。

 ◎交流のつどい
  まず、みやぎ生協理事長、斎藤昭子氏より歓迎の挨拶があり、「震災時、心まで折れそうな状況の中で全国からの生協の仲間からの支援にとても感謝しています。命と人権を守る立場から生活基盤の回復をはかることが一番であり、今の被災者の一番の不安は雇用と収入、暮らしへの不安です。声を上げていきましょう。」と述べられていました。続いて今回の視察訪問団の代表のコープおきなわ副理事長の比嘉勝美氏から「復興には何十年と言う年月がかかります。現地へ行って思いを聞いて、地域に伝えていくことが大事である。長いスパンで支援していきたい。」とありました。

 


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  次にみやぎ生協が制作されたDVDを2本見ました。1本は震災直後の映像で、全国の生協の支援の様子があり、次の1本は新たなみやぎ生協を目指し、各店舗の復興の様子や宅配、ボランティア活動の様子などの活動の紹介でした。
  
  被災された地域代表理事さんお二人のお話を聞きました。気仙沼代表理事の春日京子さんのお話「気仙沼は津波襲来まで30分あったのでゆっくり避難し、車を使う人が多く渋滞が起こり、車の中で被災した人が多かった。避難施設24箇所に685人の方がおられ、仮設住宅は83ヶ所ある。気仙沼の港は地盤沈下で浸水しており港の復興にはかなりの時間が必要です。今は〔みやぎ生協県北ボランティアセンター〕を立ち上げ、被災された方の気分転換になればと店舗の集会室でのお茶会を開催、仮設住宅用の表札作り、ひんやりマフラー作りを開催、産後支援プロジェクトを立ち上げ、産後2ヶ月をサポート。春日さんご自身も自宅を津波で失われたとのこと。」 〈笑い方を忘れたら、思い出すまでそばにいるよ。〉 この言葉を最後に述べられました。


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 石巻地域代表理事の大和きよ子さんは外出先で被災、タクシーを2日間待って自宅に帰る。停電、断水の中10日以上、ぬれティシュで顔を拭く生活の中で店舗でのコープ化粧品の割引セールの開催を要望し実現、仮設住宅に入って何ができるかを考え、仮設周辺のご近所マップを作る、笑顔を取り戻してもらおうとふれあい喫茶やおゆずり会を開催、フリーリア化粧品のバラ園を見学。「石巻は8割の方が被災者、前向きにあせらず、元の生活に戻れるようがんばります。」と述べられました。

 

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  次にみやぎ生協専務理事、宮本弘さんから、みやぎ生協の被災状況、6ヶ月後の復興状況について、報告をうける。
未曾有の震災被害の中、本部との連絡が途絶えた中で、それぞれの店舗の判断で、店舗を開け、地域の方に商品の提供をすることができ、一般のスーパーが店を閉めている中で、地域住民の方たちの信頼を得た。店舗を開け続けることができたのは、日本生協連のすばやい支援と全国の生協からの支援があったからこそである。
 共同購入は、組合員さんのところに支援物資を持って、安否確認にまわり、震災後の不安な組合員さんが、担当者の職員の顔を見て安心し、喜ばれた。これには共同購入のトラックが威力を発揮する。「みやぎ生協は震災前以上の生協になり、協同組合の役割を果たす生協として、皆さんに恩返ししたい」と強く述べられました。

 その後、グループに分かれて、交流をする中、「被災後、センターに全国の生協の配送トラックが並んでいるのを見て、感激するとともに何故か安心しました。」というみやぎ生協の理事さんの言葉が心に残りました。

◎ 南三陸町視察
 仙台から北へバスで、移動。走っている自動車専用道路は盛り土で高くなっていて海側と内陸側で被害が違っていた。この道路が津波を食い止めたそうです。内陸から海へ向う中、山の中に茶色に変色した杉の木に気付く。杉の木は塩分に弱く、そこは海から5キロ、杉の木の変色で津波が押し寄せたことが分かります。

 

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 だんだん民家がなくなり、人の生活の気配がなく、生い茂った雑草の中にかつて建物があったであろうと思われるコンクリートの土台がたくさん見える。かつては最新の車だったであろう塊がぐちゃぐちゃになり、錆てころがっている。

 

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  ここはどこだろう?と思っていたら、南三陸町の防災センターの建物が目に入ってきました。若い職員さんが最後まで避難を呼びかけて自ら帰らぬ人となってしまった場所です。鉄骨の骨組みだけが残り、津波の凄さが分かる象徴的な建物でした。周辺のガレキはすでに片付けてあり背の高い雑草が建物の土台跡の間に生えています。


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 秋晴れの青空に穏やかな海、人がいないので、とても静かで、遠くからガレキ処理をしている
重機の音がするだけ。ここに人々の暮らしがあったとは想像できないぐらいすべてが流されていました。

 

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◎ 宮城県漁港志津川支所で牡蠣養殖生産者の方々の話を聞く。


IMG_1470 (カスタム).JPG  建てられたばかりのプレハブの仮事務所。生産者4名の方の話を聞く。かつては牡蠣やワカメ、銀サケの養殖などで年間40億の売り上げがあり、海から多くの恵を受けていたとのこと。震災ですべてを海にのまれてしまい、海を怨んだが、3ヶ月過ぎた頃から、「海と暮らすしかない」と気づき今は再建を目指して、船やロープ、種牡蠣の手配をしている。


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 牡蠣部会長の遠藤さんは、「震災直後はもう海はいいと思ったが、仲間とガレキの片付け作業をするうちに再開しようという気持ちになった。震災前は過密状態の養殖場だったが、リセットされた今、海を大切に使い、子供たちに豊かな海を残していきたい」と述べておられました。

 

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◎ 石巻市蛇田店で組合員さん、店長から被災時の様子を聞く


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IMG_1504 (カスタム).JPG  東松島エリアリーダーの田中さんは海から1.5kmに自宅があり、まさか津波が来るとは思わなかったが周りの人の勧めで、小学校に避難し、3階に上がり助かった。港のガソリンタンクが壊れ、ガソリンの匂いがする中、遠くでは火災も起きていて、朝まで一睡もせずに過ごしたそうです。女川の組合員、東海林さんは津波が押し寄せる様子を冷静に観察されていて、自分の車が流されていくのを胸まで水に浸かりながら見ていたそうです。店長の伊藤さんは被災時に店を開け、商品を供給したこと、組合員活動を早く復興させたこと、せいきょう便やふれあい便などで買い物困難者の支援をしたことなどの報告がありました。

◎ 視察を終えて
  今回のみやぎ生協の視察に当り、鳥取県生協の応援の思いを何かの形で伝えたいと、「友」の文字を入れた手すき和紙でランプシェードを作ってもらい、みやぎ生協の理事長に届けてきました。とても喜んでいただき、私たちの思いを伝えることができました。

 


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被災地の皆さんは復興に向けて動き出しておられます。心の傷が癒えない中、「前を向くしかない」と、自分に言い聞かせるように、私たちに言われていました。
 遠く離れた私たちに何が支援出来るだろうと思っていましたが、視察をする中で、全国の生協組合員の応援の気持ちが被災者の方を勇気付け、生産者の方々の養殖再開を後押ししていることが分かりました。お金も大事ですが人と人のつながりがあってこその復興だと思います。長い支援になります。被災された方々のことを忘れないで応援していきましょう。

 

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